なぜ、出来上がったコンテンツに優劣の差が生まれるのか?――コンテンツ重視のサイト制作から学ぶ、優劣の差
このブログを開いていただき、ありがとうございます!
気付いたことや思ったことをそのまま書いているだけなので、拙いところもたくさんありますが、楽しんでいただければ幸いです。
今日は、リツイートで回ってきたとあるはてなブログの記事を読んだ。
この記事を読んで、思ったことがある。
それは、「なぜ出来上がったコンテンツに差が生まれてしまうのか?」ということだ。
自分の作ったものがどこか物足りなく感じた時や、同じような情熱を注いでいるはずなのに、人の作ったコンテンツのほうが優れているように感じた時に、この疑問を感じる。 何が差を生んでいるのだろうか?
この素敵な記事を読んで感じたことを通して、考えてみました。
コンテンツというものには、作る前に決めなければならない2つの大きなポイントがあると、ぼくは思う。
まず、コンテンツのテーマやコンセプト。
もう1つは、どこの誰がどうやってコンテンツを消費するのか、ということ。
自分が今から作りたいものが決まったなら、その時に具体的なテーマやコンセプトを定めておく。これは昔からいろんなハウツー本で語られているし、創作をする上で守るべきルールとも言えるのだが、守られていないことが意外と多い。
例えば女子大生の一人暮らしについてのサイトを作るとするなら、「女子大生が実家に頼りたくなった時に見るサイト」などのコンセプトを最初に定めておく。(ぼくは実際に作るつもりはないので具体的に書いています)
こうしてテーマやコンセプトを定めておくと、何を書くべきなのか、何を書くべきではないのかが見えてくる。
大事なのは、途中で内容が変わったとしてもコンセプトやテーマはブレないままでいることなのだ。
そして次に、自分が作るコンテンツをどこの誰が消費するのかを決める。
コンセプトやテーマがあると、誰に消費して欲しいか、誰が消費するのかがすぐに思い浮かぶと思う。
例の場合は、もちろん一人暮らしの女子大生だ。
だが、こうして誰に対して発信するのかというところまで辿り着いた時に大きな壁にぶつかる。
それは、自分が一人暮らしの女子大生ではないということだ。
文字にすると冗談か何かを言っているように見えるけど、冗談なんかじゃない。ぼくには一人暮らしの女子大生の本当の悩みがわからない。もっと言えば、バイトができなくて仕送りだけで生活している女子大生の気持ちがわからない。サークルの先輩から言い寄られてどうしようかなって悩んでる女子大生の気持ちがわからない。予想はできるけど、やっぱり、その立場でしか味わえない悩みやその立場でしか見えない共感がわからない。
ぼくがどんなに女子大生になりきってじっくり丁寧に記事を書いたとしても、きっと彼女たちの心に深くは刺さらないと思う。なぜなら、実際その立場に置かれている人間にしかわからない悩みや、その立場に置かれているからこそ共感できるものがあるからだ。
今回紹介したブログに戻ろう。
この記事を書かれた王連さんは、サイトの記事を看護師をやっているライターさんに発注していた。天才だ。サイトを利用すると想定される人物像に近い人に、記事を書いてもらっていたのだ。
誰がどうやって、自分のコンテンツを消費するのか?
この点をどれだけ深く思いやることが出来るかで、コンテンツの優劣は決まるのではないかとぼくは思う。この点を深く考えれば、何をしたらいいかが見えてくると思う。この点を深く考えれば、誰がどうやって自分の作ったコンテンツを消費しているかがはっきりと想像できると思う。
ものづくりは思いやりってことなんですか? 流行ればなんでもよくね? って言われたら元も子もないんだけどね。それでも、自分が作ったものを見返して「なんか微妙だなあ」って感じた時に、この視点はすごく役に立つと思う。このことを、改めて気付けて本当に良かった。勉強になる記事でした。ありがとうございます。真似しちゃおっかな。
本当の「パクリ」についての話をしよう。――『ものづくり』の視点から見た無断転載問題。
みなさん、はじめまして。
このブログでは、創作やコピーライティングに関わる記事を書いていこうと思っています。箸休め的な気持ちで、流し読みしていただければ幸いです。
コピーライティングというbotの無断転載問題が話題になっている。どうやらこのアカウントは、NAVERまとめなどの外部に誘導することで収益化しているらしく、Twitter上で悪質とみなされるbot群とは一線を画すると断言してもいいぐらいにはひどく悪質だ。
フォロワー数も、4/20現在で85万人以上いて、自動フォローのbotをのぞいたとしても、とても力のあるアカウントといえる。純粋にこのアカウントが好きだというユーザーもたくさんいるだろう。このアカウントを買いたいという企業はたくさんいるだろうし、このアカウントが憎いと怒る人がいるのも容易に想像できる。
今回のこのコピーライティング問題には、二つの大きな問題点がある。
そしてこの二つの問題点を踏まえた上で導き出される結論は、今後のネット上における創作や発信についての何か大きな分岐点になりそうな気がしてならないのだ。
一つ目は大多数の人間が情報ソースなど気にしていないという点だ。
あえてはっきり書くが、コピーライティングbotをフォローしている人間は、「コピーライティングがつぶやいてるツイートのソース元などどーでもいい」と思っているに違いない。むしろ「パクリとか訴えてる人たちは、何を求めてるの?」ぐらいに思っている可能性もある。なぜなら見ている側の人間にとってはパクられた側の不利益なんて、どうだっていいのだ。
自分自身に置き換えてみよう。あなたは、友人が語る情報のソース元について気にしているだろうか?
もっと具体的な話をしよう。TwitterでRTで回ってきた情報のソース元をいちいち確かめたりしているだろうか? 有名人や知識人がつぶやいている情報のソース元をいちいち確かめたりしているだろうか? まとめブログやキュレーションメディアのソース元は? 2ちゃんねるや知恵袋の書き込みは? 友達同士の会話で出てくる情報は? テレビやラジオで流れてくるものの情報は? ヤフーニュースのヘッドライン、いくつ情報ソースを確認した?
この世に存在する、ありとあらゆる媒体から、あなたへと流れてくる情報の原点を、あなたはいくつ知っている??
あなたの目に映るすべての情報の中で、たったひとつでも情報の原点を知らないものがあるのだとすれば、他の人はもっと多いと思っていい。みんな、欲しいのは情報そのものであって、情報を発信しているのが誰なのかはどうでもいいのだ。
それに、これだけ情報があふれていたら、誰が情報の発信源なんかわからない。この後に触れるが、パクるのが巧い奴は本当に巧妙なパクリ方をする。コピーライティングbotが、パクリアカウントをパクった可能性もあるのだ。コピーライティングbotが目立っているが故に責められている可能性もある。かばっていると勘違いされたくはないが、罰するならこの世に存在する全てのパクリツイートを罰しろよ、と思ってしまうのは、正直な話だ。だってそうしないと、第二第三のコピーライティングbotをうむだけじゃないか。
第二の問題点は、何を罰するべきなのか?という点だ。
具体的な話をしよう。ぼくは先月、Twitterのリアルアカウントで、とある電車での事件をつぶやいた事があった。たまたまそのツイートが伸びに伸びて、6000RTぐらいされた。まあ、つぶやきの内容が内容だっただけに、ふーん程度にしか思っていなかったのだが、ぼくのつぶやきと全く同じ内容のものがヤフーニュースのトップに乗っていたのだ。
もちろん、記事にしていいか、みたいなリプライは一切来なかったし、まあ「無断転載か」と流しながら記事をクリックした。
するとそこには、ぼくのつぶやきを改変した別のアルファツイッタラーのつぶやきがニュースになっていたのだ。誰とは言わないけどとある科学の超電磁砲のアイコンのやつな。
気になって幾つか他のニュースを確認したが、どれも他のツイッタラーが反応したつぶやきだったり、「ツイッターユーザーの情報によると~」みたいな引用ですらないお粗末なものもたくさん含まれていた。
別にニュースになりたかったわけでもないし、改変したりパクツイしたりしてきた奴に文句を言いたかったわけでもない。
ひとつ気になったのは、これって無断転載と何が違うの?ということだ。
バイラルメディアにパクるなと怒っていたメディアやライターや有名人、コピーライティングなどの悪質botたちに自分の絵を無断転載するなとキレていた絵師たちの中にも、流れてきたツイートをリツイートした後に便乗して自分の意見を発信することで自分のツイートを伸ばす人はたくさんいる。そもそもTwitterトレンドを見て伸びているツイートを改変したり絵にしたりして、つぶやいている人すらいる。ひどいのは、自分が購読しているブログのRSSをツイッターにつぶやいて自分のツイッターの価値を高めようとしてる有名人すらいるのだ。
丸パクリじゃなければなんでもいいのかよ?ってはっきりと思うし、こいつらも無断転載の奴らと一緒に罰してくれと切に願うが、おそらく罰されないだろう。
パクリにキレている絵師の中には、アニメのキャプやコラ画像を平気で貼っている奴もいる。おめえどの面さげて著作権語ってんだよ?って思ってしまうのだが、そんなことはどうでもいいのだろう。自分がパクるのはいいけど、自分がパクられるのは嫌なのだ。その気持ちは本当によくわかる。人間だから。
ぼくたちは、大きな分岐点に立たされている。
もはや著作権は機能していない。そして、その権利を振りかざす人間に、果たして権利を行使する資格があるのか――著作権を侵害するなと訴える人間が、他の著作権を平気で侵害しているという問題が存在しているということも、決して目を背けてはいけない事実だ。
だが、それでも権利は守られるべきだと思う。保護されるべきものは、保護されなきゃダメだ。
インターネットの発達やソーシャルメディアの急成長とともに、何度も語られてきたであろう著作権のあり方について、もう一度見直す時が来たのだとぼくは思う。同じことを思った人は、是非沢山の人にこの記事を拡散して欲しい。出来る限りのすべての人にこの問題を考えて欲しいと、ぼくは思う。
あと、コピーライティングはつぶやきのチョイスや、改変などのセンスはずば抜けて光っているので、その技術を他のことに活かして頑張って欲しいと思いました。おわり。